この記事では、皇后雅子さまの若い頃について調査します。雅子さまは1993年に天皇陛下とご結婚され、愛子さまという皇女に恵まれました。ご成婚から20年あまりが経過しますが、変わらぬ美しさと女神のようなオーラを放ち、ファンも多い皇族女性の1人として知られていますね。そんな雅子さまは、若い頃から圧倒的な存在感を放つハイスペック美女だったんです。若い頃の画像や学歴、生い立ちなどをまとめてみましょう。
雅子さまは若い頃から美人だった
まず、雅子さまの若い頃の画像を見てみましょう。こちらが、天皇陛下とご結婚する前の雅子さまです。
キリッと上品なお顔立ちはもちろん、溢れ出るオーラは「一般女性」とは思えないほど輝かしいですね。では、天皇陛下とご結婚された当初の雅子さまを見てみましょう。
物語や映画からそのまま飛び出たかのような美しさですね。美貌だけでなく、頭脳や人格までもが素晴らしいということを考えると、言葉通り桁違いのスペックをお持ちであることが分かりますね。
雅子さまの華やかすぎる学歴とは
雅子さまは幼少期を海外で過ごされ、小学校と中学校で日本の教育を受けられました。そして、高校からアメリカに移住し、大学も現地でご卒業されています。なんと、アメリカではハーバード大学をご卒業され、その後日本で東京大学に入学しているのですから、驚くべき学歴です。華やかな歴史の中で、雅子さまがどのようなことを学ばれてきたのか見てみましょう。
マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクール
雅子さまは、日本の高校2年生の学年から、アメリカ・マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに編入しました。通常の学習に加え、雅子さまには専属のカウンセラーが付き、勉強の進み具合が徹底的に見守られたそうです。同校で「最優等学生」と認められ、アメリカ政府が米国全体の上位5%の生徒に贈る「ナショナル・オーナー・ソサイティー」を受賞しています。
ハーバード大学
ハイスクールを卒業後は、ハーバード大学経済学部に入学した雅子さま。なんと、ほかにもイェール大学、プリンストン大学など複数の大学に合格していましたが、将来日本で就職するにはより有名大学を出た方が良いと考え、ハーバード大学を選んだそうです。ハーバード大学では数理経済学、心身障害児の運動指導などを学びました。雅子さまは現在でも、子どもたちとのふれあいを大切にされています。もともと子どもが好きで、専門的な学びを得ていたのですね。
日本に帰国後は東京大学へ
雅子さまはハーバード大学をご卒業され、日本に帰国すると、東京大学法学部に入学されました。このとき、100名中たった3名の合格者のひとりが雅子さまだったそうですよ。アメリカに残る選択肢もあったそうですが、あてもなく漂うような生き方になってしまうことを懸念され、どうしても日本に帰りたかったと語っています。在学中に外交官になることを夢見て試験を受けたところ合格したため、編入した東京大学を中退され、そのまま外務省に入省します。
雅子さまの生い立ちを振り返る
雅子さまは、外交官だった父・小和田恆さんと優美子さん夫妻の長女として誕生しました。父・小和田恆さんは在ソ連日本大使館一等書記官に就任したことがきっかけで、一家でソ連に渡ります。幼少期はモスクワで過ごし、ロシア語を習得しました。その後すぐにスイスに渡り、双子の妹が誕生します。当時はさまざまな国を転々とし、各地の言葉がわからず泣くことも多かったそうですが、幼少期だけでロシア語、スイス語、そして英語を習得してしまったそうですよ。
【参考サイト:All About】
本と動物が大好きな女の子だった
雅子さまは小学校1年生のときに帰国し、日本の小学校・中学校に通いました。犬、猫、ハムスター、ひよこなどさまざまな動物を飼われ、動物のお産を観察したり、カメレオンに生きた虫をエサとして与えたり、動物たちの死を間近で見てきたりしたそうです。小学校の卒業文集には、将来の夢を「獣医」と書かれていた雅子さま。ミモレに掲載された当時の担任の先生のコメントによれば、雅子さまは同年代の子どもたちと比べて落ち着いた印象だったそうで、日本の小学校に入り、それまでの海外生活とのギャップに困惑していたとか。
部活動を作るほど活発だった学生時代
雅子さまは中学校へ進学後、自らソフトボール部を創立しています。週刊女性プライムによると、雅子さまが進学された田園調布雙葉学園中等部には、ソフトボール部がありませんでした。雅子さまは高等部のソフトボール同好会の練習に交ぜてもらっていたそうですが、自分たちの部活を作りたいということで先生に掛け合い、発足が叶いました。
雅子さまはサードを護り、チームを引っ張るリーダーシップもお持ちだったとか。肩が強く、サードからファーストまで綺麗な球を投げるプレイヤーだったそうですよ。
高校時代はアメリカで過ごす
雅子さまは高校時代、再び父親の仕事の都合で引っ越しを経験します。ボストンのマサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに編入し、そこでもソフトボール部に所属しました。
高校でアメリカに渡ってからは、大学をご卒業されるまで現地で過ごされたようです。しかし、途中で再び父のモスクワ転勤が決まり、雅子さまを除くご家族はモスクワへ。雅子さまはアメリカで一人暮らしをされていました。
衝撃的な天皇陛下との出会いとは
雅子さまが現在の夫・天皇陛下と出会われたのは、衝撃的で運命を感じるエピソードがありました。天皇陛下が皇太子だった頃、2人は出会われます。天皇陛下はこのとき、美しく聡明な雅子さまに一目惚れ。その後、さまざまな女性が宮内庁の「お妃候補」としてリストアップされますが、天皇陛下は雅子さまのことを諦めなかったそうです。お立場の違いを懸念され、ずっと天皇陛下からの求婚を断り続けていた雅子さまでしたが、6年の歳月を経て、ご結婚を承諾。晴れて皇室入りとなったのでした。
まとめ
雅子さまの若い頃や学歴について調査しました。御年61歳の雅子さまは、変わらずお美しく気品あふれるお姿を見せられています。皇女・愛子さまは就職され、お1人でのご公務もこなされるようになりました。愛子さまのふとした表情が雅子さまにそっくりで、才色兼備のDNAを感じずにはいられません。若い頃から美しく聡明だった雅子さまは、今後も国民に優しいまなざしを向けてくださることでしょう。