シニアデビューから7季目でグランプリファイナル初出場、銀メダルを獲得した山本草太(やまもとそうた)選手/22歳に「イケメン!」「ジュニアの頃から応援してる!」といった声が溢れました。
宇野昌磨選手もリンクサイドから山本草太選手の演技を見守り、再び共に表彰台に立てる喜びを分かち合いました。
というのも山本草太選手は、16歳の時に右足首を骨折し、3度の手術、その後の大会からは長期離脱を余儀なくされていたのです。
山本草太選手の高さのあるジャンプと伸びやかなスケーティングはジュニア時代から定評があり、また長身でスリムなプローションから「羽生2世」「ポスト羽生」と期待されてきました。
怪我により長きに渡ったリハビリと、所属とコーチの変更、たくさんの紆余曲折を経て、山本草太選手の心境は今「スケートができる喜び」へと変化しています。
ここでは、山本草太選手のジュニア時代から、怪我~リハビリ~大会復帰に至るまで、諦めずにスケートを続けた努力の軌跡について、インタビューでのコメントを交えて振り返りたいと思います。
目次
山本草太選手の足首にはボルトが3本埋められている

出典: CBCテレビ『スポーツLIVE High FIVE!!』より
山本草太選手は練習中に右足首を骨折し、これまでに手術を3度行っています。抜く必要のない埋め込みのボルトが横や斜めに3本入り、骨折により離れてしまったくるぶしの骨をくっつけています。
練習をし過ぎるとボルトの周りが熱くなることもあるそうですが、アイシングのケアなどで問題なく練習を続けることができると2019-2010シーズン中のインタビューで答えていました。(参照:@TVガイドwebインタビューより)
しかし、その1年前の2018年のインタビューでは、足首のボルトについての不安を語っていました。
「ここ(右足首の内側)が傷痕なんですけど、ここからボルトが入っていて、ちょっと不安だったり違和感だったりがなかなかとれないもので…」(引用:CBCテレビ『スポーツLIVE High FIVE!!』)
右足首骨折は世界ジュニア選手権(2016年)へ出発日だった
大阪生まれの山本草太選手は5歳でスケートを始め、中学1年生の夏に「名古屋にジャンプを教えるのが上手い先生がいる」とお母様が聞きつけその数日後に名古屋に転居したそうです。(参照:日テレプラス 荒川静香Friends+α)
熱心に練習を続けた山本草太選手は、世界のジュニア大会で輝かしい成績を残してきました。(詳細は次の「ジュニア時代の主な戦績」表へ)
そして優勝候補として挑むはずだった2016年世界ジュニア選手権(開催地:ハンガリー・デブレツェン)に向けて出発する直前まで練習をしていたその日にトリプルアクセルを跳んで転倒し、右足首を骨折してしまいました。
「もう痛すぎて…痛いしか頭になかったです」「もうやめたいというか、歩くのも痛かったり、ずっとリハビリも行ってはいたんですけど、なかなか変わらなかったり…。『これはもうできないのかな』っていう思いはありました」(引用:CBCテレビ『スポーツLIVE High FIVE!!』)

リハビリを受ける山本草太選手 出典:FNNプライムオンライン
山本草太選手のジュニア時代からの主な戦績
2014年 | ジュニアグランプリファイナル 2位 |
2015年 | 世界ジュニア 3位、 全日本ジュニア 優勝 |
2016年 | ユース五輪 金メダル |
2018年 | アジア杯 優勝 |
2019年 | フィンランディア杯 2位、 USインターナショナル 2位 |
2020年 | 全日本選手権 9位 |
2021年 | 全日本選手権 8位、 ワルシャワ杯 優勝 |
(参照:日刊スポーツfigure365)
スケートができる喜びが大きくなった

出典:non-no web HAPPY PLUS
右足首の骨折と、3度の手術、リハビリを続けながら練習に励んだ山本草太選手に、スケートに対する心境の変化がありました。
「ケガをするまで、5歳から毎日練習して、『面倒くさいなぁ』とか、試合とかも『緊張するなぁ、イヤだなぁ』と思う時もありました。けれど、1回離れた時に『スケートしたいな』『試合出たいな』って思うようになって。初めてそう思うようになりました」
「“悔しい”気持ちも、もちろん少しはあったんですけど、もうスタートラインにも立てていなくて。本当にケガしなきゃいいという気持ちでずっと、練習だったり試合に臨んでいた。本当に『スケートができているだけで幸せ』ってすごく純粋な気持ちで、試合を、全日本を楽しめていたと思うんですけど、そこからたくさんいろんなことがあった4年間で。そのケガがあったからその過程も全部含めて、成長できたんじゃないかなと。
幸せもかみしめつつ、ただひたすら自分がやるべきことを全日本という舞台で出していきたいなと思ってます」(引用:FNNプライムオンライン)
「1分1秒が幸せだなって思えるようになって、いろいろな方に支えられていると感じました。演技中も1つ1つの拍手が聞こえてきて、本当にありがたいことだし、それにしっかり応えていきたい」(引用:Suportsnavi)
「怪我をする2年前までは全日本選手権に出場することを当たり前のように思っていたが、今は出場できることが幸せなことだと感じており、今出来る全力を出し全日本選手権に出られることに感謝を込めて演技をしたい」(引用:東京ニュース通信社)
諦めずに一つ一つ積み上げて練習を続けた

出典:毎日新聞
厳しいリハビリを続けてきた山本草太選手は、怪我から1年後の2017年に氷上へ復帰を果たしました。
とはいえ、以前のようなスケーティングができるほどには戻っておらず、全日本の予選となる中部選手権で、全てのジャンプは1回転とうい構成で再スタートしたのです。
当時、2018年の平昌オリンピック出場について「コーチは100%諦めています。自分も99.9%は諦めています」と話していました。(参照:Walkerplus)
それでも山本草太選手は辛抱強く練習を継続し、地道な努力を積み重ねてきた結果、今では安定した4回転を着氷するなど、ようやく本来の実力を発揮し始めています。
フランス杯2位、NHK杯2位と続けてメダルを獲得し、今季シニアグランプリファイナルに初出場しました。
次の全日本選手権を前に、山本草太選手はこのように語っています。
「今シーズンはいろいろな試合に出て、試合前に構えることがなくなった。全日本も特別な舞台ですが、一つの試合としてベストを尽くすだけ。しっかり練習を積んで、練習通りの成果を本番で出せたら。すごく落ち着いて試合を楽しめるようになってきた。楽しめるのは普段の苦しい練習を積んでいるから、“本番でできる”という自信があるため、楽しめている」 (引用:FNNプライムオンライン)
コーチと所属を変えた(近年時系列)
時期 | コーチや所属先(練習拠点) |
2020年1月 | ひょうご西宮アイスアリーナへ。その後、大阪府立臨海スポーツセンターへ再度拠点変更。 |
2020年7月 | 大西勝敬氏の指導を受け始め、9月より正式に師事。全日本選手権の後、氏のもとを離れ、メインコーチ不在。 |
2021年1月 | メインコーチ不在。中京大学アイスアリーナで一人で練習する状況が続いた。 |
2021年7月 | 山田満知子、樋口美穂子コーチに師事。 |
2022年3月 | 山田満知子、本郷裕子コーチに師事。 |
(参照:Wikipediaをもとに作成)
コーチ不在で一人で練習を続けた日々もあった
新たな移籍先を探す間、山本草太選手は一人で練習を続けた時期もありました。
「(前略)孤独感ですごくつらい時期でした」
「美穂子先生に振り付けをしてもらいたいという思いがありました。最後は母の助言でした」。樋口コーチに指導を申し出ると、意外な答えが返ってきた。「『うちでいいの』って言われて。一人で練習しているときもいろんなクラブの方がやさしく声をかけてくれましたが、美穂子先生は自分から誘うことはなくて、お願いしたら引き受けるという形で、すごく素敵だなと思いました。それが第一印象ですね」(引用:4years)
「もっと早く来たらよかったというくらい」と山本草太選手は顔をほころばせて言いました。
宇野昌磨選手はジュニア時代からの目標であり戦友へ

出典:毎日新聞
宇野昌磨選手と山本草太選手はジュニア時代から世界トップを争っていました。
宇野昌磨選手は記者会見で「草太くんの練習を見ているので一緒にファイナルに行けることがうれしいです」と述べました。
今季、グランプリファイナルで再び共に表彰台にのぼる結果となり、当時以来のワンツーについて問われた山本草太選手と宇野昌磨選手はこのように語りました。
山本草太:「あの時は昌磨くんと一緒にジュニアで一緒に戦うというか試合に出場して、身近に目標がいて、ジュニアでも表彰台に上がった。シニアで昌磨くんが力をつけ、目標から憧れの立場になった。僕も少し時間かかりましたけど、少しは目標と言えるというか、そういったところまで近づけた。また昌磨くんを目標に僕もレベルアップしていけたら」
宇野昌磨:「ここから先、自分も草太くんもどれだけ続けるか分からない。ただ2人ともケガやアクシデントなく、練習を積み重ねれば、お互いが勝ったり負けたりする関係性でいけると思っている」「試合では競技ですし、順位がついてくるが、練習では助け合って、競い合って、高め合って、ケガなくいけたら」(引用:Suponichi Annex)
まとめ
ジュニア時代から輝かしい成績を持ち、大きな期待を寄せられていた山本草太選手の怪我から表彰台にのぼるまでの軌跡をたどりました。
右足首の骨折の怪我は、上り調子だった頃、それも大会に出発する直前の練習時に起こりました。
山本草太選手は以前跳べていた4回転が跳べなくなり、全て1回転の構成で試合に挑むところから再スタート切っています。
諦めたくなったことは1度や2度ではないだろうと思いますが、それでも一歩一歩前へ進む涙ぐましい努力を続けました。
通常であれば、挫けて逃げ出したくなるような心境だろうと思いますが、山本草太選手は、怪我によりスケートができることへの感謝や喜びが増したようです。
ジュニア時代からの憧れであり目標でもある宇野昌磨選手から「勝ったり負けたりできる関係性でいけると思ってる」と言われています。
今後ますます氷上で戦い、輝く姿を見ていきたいですね!
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